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HOMESPECIAL TOPICS僕が北海道に移住したワケとタフトが出来るまで ①/②

SPECIAL TOPICS

僕が北海道に移住したワケとタフトが出来るまで ①/②

縁もゆかりもなかった僕が、北海道に移住した理由

「酒井さんって、地元どこですか?」

はい、僕の地元は埼玉県上尾市です。

たくさんの方々とお話しをする機会がありますが、会話はこれが入口になることも少なくありません。なぜ北海道に?進学?就職?などなど、ある程度会話のキャッチボールもテンプレート化していて、そのテンプレ化した自分のヒストリーをお伝えすることは結構好きなことでして。

嬉しいことに、「記事を見ています」と言ってくださる方も多くなってきました。せっかくなので、今回はご挨拶として自分のことを記事にしてみようと思います。少しばかりではありますが、酒井のヒストリーにお付き合いください。今回は北海道に移住するまでの記事で、タフトの立ち上げまでの記事は②に続きます。

「何かにチャレンジしてみたかった」20代

小学校・中学校・高校と地元である上尾の学校に行き、高校卒業後は調理師を目指していたために東京の調理師専門学校に進学しました。そのまま晴れてホテルで調理師となるわけですが、何を勘違いしていたのか、まだ何もできないはずの身分であるにも関わらず、「できる自分」を装っていました。そんな自分はものの見事に諸先輩方にその鼻をメキメキベキベキと原型をとどめないほどに折られることとなり、ここから「地獄の4年間」に突入しました。

40を過ぎ、今なら理解できますが初手が本当に良くなかった。組織に対するリスペクトもなく、何一つ出来ないわりに出来る新人を装ってしまったことが致命傷でした。性根を叩き直されたのはこの時代で、本当にキツかったのですが支えとなったのは同期と数人の先輩です。今でもやり取りをしていますが、恐らくこの人たちがいなければ今の自分もない、つまり北海道行きもなかったであろう重要な人々です。ともかく彼らなしでは4年間も続けていられない環境でした。

元々調理師は何があろうと3年間は絶対に続けるという気持ちで業界に入ったため、辛かろうがなんだろうが辞めるという選択肢はありません。3年を超えたあたりからようやく風当りもゆるくなり、少しずつ出来ることも増えた結果、3年と365日目にして退職しました。このまま調理師としての自分の将来が不明瞭であったこと、料理は好きだけど仕事としては好きではなかったこと、そして20代前半ならまだ違うことにもチャレンジできると考えた結果でした。そして次のチャレンジとして、販売を選びいよいよ新しい人生のスタートです。

恩師や仲間に囲まれてなんだかんだ皆さんには本当にお世話になりました。

きっかけは秋葉原

販売といっても、派遣としての仕事です。調理師を辞めた時点で夢を失い、正直出来る仕事なら何でもよかったのです。調理師時代のお給料は手取で11万~12万円程度。何をどうやっても給与も上がるため、選択肢が無限すぎて自分では仕事を決められないのも派遣を選んだ理由の一つでした。

この時点でまだ22歳。すっかり前回の失敗を忘れてしまっていた僕は解放感もあってか、「何もできないくせに」同じミスを繰り返すことになります。

初めの仕事は六本木のオシャレな店舗でプリンターの実演販売を行うこと…だったはずですが、欠員がでたそうで急遽秋葉原に行くことになりました。そう、このエラーが全ての決定だったと言っても過言ではありません。

ともかく言われた通りに行った秋葉原。もともと自作PCなどでパーツを購入したり、馴染みのある街でもあったためさほど違和感はありません。販売するものは当時リリースしたばかりの電力系のブロードバンド回線で、こちらもある程度精通していたために大きな問題はありません。一つ気になるとすれば、看板を体の前後ろにぶら下げるいわゆる「サンドイッチマン」状態で、秋葉原の路上に研修ゼロで放り込まれたことでしょうか。とりあえずその辺歩いて声かけて申込もらってきて、と先輩(と思われる人物)から指令が下されたためにその通りにしますが、本当に何もわからない状態でナンパよろしく声をかけていくわけです。地域柄、街を歩く方々はパソコンにお詳しい方々が多いわけですが、その方々からごみのように扱われることとなります。もちろんその日は申込獲得はゼロで終わり、事務所に戻ると中々の熱い叱咤激励をいただく(かなりオブラートに包んだ表現です)わけですが、「オシャレ、六本木、プリンター」は儚くとも崩れ、ここからまた地獄の日々が繰り返されることとなりました。

この時期は殺伐としていたこともあってか写真はごく少数でした。コックの時の方がいい笑顔でした。

決断と実行

さて、少し長くなりましたのでここからはダイジェスト版でお送りします。

  • 全く売れなかった日々を送っている中、とある地域にリーダー欠員が出たために抜擢された(真面目な勤務態度、だったからだそうで)
  • リーダーとして責任感が湧いた瞬間から売れるようになった
  • 売れるとより頑張ろうと思ったため、色々な顧客と接点をもつ回数が増えた
  • その顧客の一人と色々あってお付き合いすることとなった
  • その彼女が札幌出身だった
  • 元々札幌に帰りたいと以前から思っていた
  • 自分も環境を変えたいと思っていたのでついていくことにした

要約するとこんな感じです。件数が獲得できるようになり、前職では考えられないほどの給与を手にすることが出来たのですが…手にしたことで逆に辞めようと思っていました。一つ目は、商品が流行りもので水物であり、自分の力ではないと感じていたこと。二つ目は、そのお金を周囲の人間が散財していたのを見て現実にかえったこと。三つめは、稼いだお金を使って新しいチャレンジをしようと考えていたこと。これが北海道に来る原資となりました。

ちなみにこの「彼女」が今の妻であり、彼女無しでは北海道は語れません。ストーリーは長くなりましたが、進学でもなく、就職でもなく、ただ彼女がきっかけで札幌に来たということに過ぎません。平たく言えば「女を追っかけてきた」ということで、皆さんからもそういわれますが正にその通りです。

紆余曲折ありましたが、このブロードバンド販売が自分の営業の原点でもあります。真面目に、まっすぐに、コツコツと。「何もできなかった自分」が、やっと自分を見つめて成長することが出来たことで北海道に移住することになりました。

ちなみに彼女が札幌じゃなかったらどうしていたか?とも聞かれることがありますが、埼玉や当時住んでいた千葉から簡単に来ることが出来ない地域であれば、どこでも行ったのだろうと思います。場所はきっかけに過ぎず、その時の理由は「家族や友人と思いっきり距離を取って、甘えを消し去りたい」だったからです。

北海道に移住し、なぜ不動産を選んだのか。そして、なぜ独立することになったのか。それは次回の記事でお伝えします。

北海道来るためにストリートダンスは辞めました

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