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HOMESPECIAL TOPICS僕が北海道に移住したワケとタフトが出来るまで ②/②

SPECIAL TOPICS

僕が北海道に移住したワケとタフトが出来るまで ②/②

北海道への移住と札幌の不動産業界、そして雪の洗礼

※この記事は前回(僕が北海道に移住したワケとタフトが出来るまで ①/②)からの続きです。未読の方はぜひそちらからお読みください。

さて、前回の記事では僕が北海道に移住した理由とそれまでのストーリーについて書きました。今回は不動産業界に入った理由と、タフトを立ち上げるまでを記事にします。例のごとく少々長くなりますが、どうぞ最後までお付き合いください。

札幌の部屋探しは難しかった

移住を決断したその直後から札幌で部屋を探し始めました。思いつく→行動するのルーティンは昔から変わらず、この時は決断したその10日後くらいには札幌に来て不動産巡りをした記憶があります。

千葉に住んでいたときには、5年弱で3回の引越しを経験しました。お金がなかったために安い1Kアパート、築60年のアパート、安リノベーションアパートと基本安い家に住んでいました。もともと古い建物だったこともあり、60年アパートをDIYしながら楽しく生活していたのですが残念ながら住んでから1年後に取り壊し→立ち退きの憂き目に遭うという経験もしました。余談ですが、この時の立ち退きの経験は奇しくも現在の管理業務と売買業務にふんだんに生かされていています。

そんな築古ばかりを選択していた自分にとって、札幌は異世界でした。そもそも古い物件が少なく、取り壊されるようなアパートと同じ家賃で新築を借りられる上に広いわけですから。札幌に来る前にWEB上で色々探していましたが、あまりに世界が違うので困惑しつつも札幌に来たのは2005年11月(たしかそれくらい)のことでした。

新しいものが良ければそれでよかったのですが、前述の通り一癖ある物件が好きな自分にとって、ただ物件量が多い札幌での部屋探しは簡単ではありませんでした。これまでパッと物件を決めてこられたのは、よくも悪くも「この中でしか選べないよ」だったからです。20件も30件も物件紹介されるのは初めてのことで、そのどれもが自分にとっては個性を感じられず、結局札幌での滞在まる3日を消費することとなりました。遊ぶ時間まったくないじゃん、と彼女(現在の妻)に叱られたのは当然のことです。この経験も現在の不動産業務の全てに生かされるとは、この時点では思いもしませんでしたが。苦戦した内容をまとめると、

  1. 生活イメージが湧かなかった
  2. 地理感が無さ過ぎた
  3. 札幌の営業がいい人すぎた

生活イメージの最たるものは主にストーブ、暖房器具を指します。今でこそ暖房について説明や選択肢はありますが、当時は灯油ストーブ一強の時代。ガスストーブに関しては都市ガスでさえ敬遠されていた…のは仕方ないとしても、そもそも違いが全く分からず困惑した記憶があります。各店の担当営業に質問してもガスストーブはお勧めできない、の一点張りで違いが分からないと決めにくい自分にとっては大きな障害になりました。追炊き設備がスタンダードな本州に比べて札幌の普及率は低く、寒いわりに追炊きないのは不安だな…などなど中々決め手に欠けることが多い印象でした。エアコンもないけど大丈夫?とか。

地理に関しても困ったことだらけでした。仕事は札幌に来てから決めるつもりだったので、ある意味どこでもよかったのです。ただ、雪深い札幌での生活は初めてだったため、そんな人間に対してどこがおすすめか、というプッシュがなく「どこも似たような感じです」という説明だと北区も南区もわからない自分にとってはますます迷子が進みました。

札幌の人々はとてもいい人が多い印象で、それは今でも変わりません。それは住みやすさにも繋がり、永住を決めた一因でもありますが、こと営業に関しては裏目に出ることも少なくありません。多数の紹介と内覧を提案してくれることはありがたい反面、自分のようにきちんと説明をしたうえで背中をワンプッシュすれば決める顧客に対しては悪手でした。当時からぼんやりとは考えていたことですが、オープンな市場であるがゆえ、物件が多すぎて一エリア・一棟・一部屋に対してこだわりが少ないからこそ、無駄な紹介や案内が増えた結果生産性が薄まっているという結論です。同時に、ここに営業としての勝機を見出したこともこの業界に入ったきっかけでもありました。

引越し初日からこんな状況でした。

不動産業界に入ることになったワケ

閑話休題、続きです。結局内覧した数は30近くに上り、複数回った不動産会社は最終的には二社に絞られました。同じ物件を抜きあう激戦でしたが、感じの良い営業に決めました。仲介手数料をいただく以上、引渡しも、そのあとも関係が続くのが私のスタイルと言い切り気持ちがよかった。そう思い決めたのですが、理由は割愛しますが結果的には不満足で残念なものになりました。

とはいえ部屋探しは楽しかったし、昔から間取りを見るのも好きだった。そして、自分のような「わからない」人に対してもっと寄り添って提案してみたい。前述のとおり、やれる自信もある。それがこの業界に入る動機になりました。

ちなみにこちらが入居を決めた札幌の物件です。ここから15年後、まさかこの建物を自分で管理する日が来るとは思いもよらず。人生は不思議なものです。

不動産業界に入ってから独立まで

全く知らない地域で知り合いもおらず、未経験の業界に入ったことは今でも自分にとって大きな財産です。そして、今回は初めて自らの意志で決めた仕事です。調理師の時は今考えてみると本当にやりたかったことか?と言われればそうではなかったし、前回の営業はイレギュラーからスタートしたものです。さらに、これまでの失敗を活かして素直な気持ちで謙虚に入ったことが功を奏しました。仲間にも上司にも恵まれ、前向きで楽しい毎日を過ごすことが出来ました(休日が全くなく、午前から終電まで働いていたこと以外は)

業界に入り2年が経過したときに感じていたことは、賃貸仲介として初心を忘れず、目の前に来たお客様に対して最大限のサポートをしたいということ。やることは違えど、前職と同じ気持ちで仕事に取り組めたことで確信したのはもう調理の業界の未練はないということであり、営業として生きていくと決めたときでもあります。この時点では会社を興す考えはみじんもなく、サラリーマンとしてひたすら業務に勤しむ日々でした。

しかし、その気持ちにも少しづつ変化が生じました。

  • 顧客に対して偽りのないサービスを提供したい
  • 業界の働き方を改善し、公私ともに充実した職業にしたい
  • 同業のネットワークをつなぎ、抱えている問題を共に解決する
  • 地域を結び、サービスの格差を減らす
  • 関係する人々と不動産を通じて一生涯お付き合いの出来るサポートをする

年月が経過し、顧客の増加に伴って湧いてくる「やりたいこと」が増えていくものの消化できず、縁もあって5年目にして独立することに決めました。2010年、当時28歳のときのことです。ちょうど結婚と一人目の子供が生まれるタイミングでもあり、北海道にきたときと同じ感覚で新しくチャレンジするきっかけにもなりました。

会社設立時に掲げた目標は、「最適な提案と最良のサポートで最高のサービスを提供する」。とことん探すのではなく、札幌に来た時の自分のように迷子にさせず、話を聞く・問題を解決する・一つ一つの物件を大事にする。時に時間をかけることも大事ですが、その時間を無駄にしない不動産会社でありたい。そんな気持ちをもってタフトは誕生しました。

写真は立ち上げ当時の営業メンバーと店内。現在はそれぞれ違う道を進むことになりましたが、今でもそれぞれ定期的に連絡を取り合っています。

現在

「ソウゾウとカイゼン」で世界を幸せにする

賃貸仲介からスタートし、2023年の現在では不動産管理・売買仲介・テナント仲介・国際事業など様々な事業を札幌市内より半径100kmほどで行っています。どの事業もお客様からの相談、悩み、スタッフのやりたいことから立ち上がった事業部です。色々手を出して伸ばしてるね、と言われることもしばしばありますが、全くの逆で色々ご相談いただいた結果、問題解決のために立ち上がった事業がタフトの根幹です。手を出しているのではなく、ヘルプに応えた結果ですから似ているようで真逆の行動です。

私達が掲げている理念はたくさんの人々の問題・悩みを事業を通じて楽しさや期待に変えるという意味を込めています。立ち上げからここまで楽なことはひとときもなく、ご相談いただいた多くの方々、そして働いてくれた多くのスタッフの期待に応えることもできなかった時期もたくさんありました。それでも行動を共にしてくれた旧来の仲間と、新しくメンバー入りした仲間と共に札幌を、北海道を不動産を通じて元気にしたい。埼玉から北海道に移住し、この街と共に歩むと決めた場所をもっと世界中に広めたい。移住から20年弱、立ち上げから14年が経過し、覚悟をもって取り組んでいます。

幼少期にはこんなことになるとは全く思いもしていなかったはずですが、人生とは不思議なものです。様々なご縁に感謝し、これからも多くの方々と共にタフトのストーリーを作り上げていきます。

とても長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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